新規事業開発

〈特別対談〉“アイデア発想からリリースまでの成功のトリガーとは” 電子契約サービス「クラウドサイン」の例

ーー“契約は「紙と印鑑」があたりまえ”といった、世の中の「慣習の壁」を覆すサービスは、どのように生まれ世に広がっていったのか。

HR Design Lab.特別対談企画“新規事業開発のリアルとホンネ”は、新規事業開発を実際に担当された方からお話を伺う対談イベントです。世の中には、あっと驚く新ビジネスはたくさんありますが、なかなかその開発時のお話を聞く機会は多くありません。あの素晴らしいビジネスアイデア実現までの現場の苦労、見えざる工夫とはどういったものがあったのか。既にユーザーから高い評価を得られているサービス・事業の開発に携わった方々をお招きし、ご経験やお考えを伺いながら、新規事業開発のポイントを皆様と一緒に考えていきます。

第1回の今回は、今、日本で一番注目を集めているサービスと言っても過言ではない、電子契約業界の第一線で活躍されている、弁護士ドットコム株式会社でクラウドサイン事業本部長を務める橘大地様をお招きしてお話を伺いました。
※本対談記事は、10月22日に開催したオンライントークライブより編集したものです。
※対談当時の情報ですので、現在は制度やお取り組みが一部変更になったものもあります。

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電子契約サービス最大手のクラウドサインとは

楠本:本日の素敵なゲストは、弁護士ドットコム株式会社の取締役でクラウドサイン事業本部長の橘大地様です。菅内閣になり、行政改革担当大臣の河野さんが推し進めているのが、ハンコの廃止です。国や政府がリードし始めたこの「電子契約」「行政手続きのデジタル化」を最前線で進めているのが橘様です。本日はこの電子契約についてのお話をいろいろと伺いたいと思います。

橘さん(以下、敬称略):今までは、紙とハンコで契約することが当たり前でした。そんな中、「インターネット・クラウドを通して契約締結がもっと速く、便利にできないか」という想いで5年前に「クラウドサイン」というサービスを立ち上げました。自分自身、まだまだ電子契約が浸透する道半ばだと考えていますが、新規事業というフェーズを脱して、事業として軌道に乗り始めましたので、今回の対談を通して皆様に還元できればと思っています。よろしくお願いします。

楠本:ありがとうございます。今日は、クラウドサインの立ち上げから今に至るまでどんなお考えを持って進めてこられたのか、そして、今から未来、どのように進めようとされているのか、というお話をお聞きしたいと思います。まずは、簡単な自己紹介とクラウドサインのサービスについてのご説明をお願いします。

橘:私のキャリアですが、前職では弁護士として、スタートアップやベンチャーの法務支援をしていました。そんな中、自分自身も新規事業を立ち上げてみたいと考えるようになり、弁護士ドットコムという会社に入りました。新規事業どころか事業運営自体も初めてで、営業やマーケティングの経験もない状態でクラウドサインを立ち上げました。
ちょうど5年前に立ち上げたクラウドサインですが、そのきっかけは自分自身の経験上にある想いや痛みにありました。弁護士として、企業再生のために、クライアントが融資を獲得するための契約書の交渉サポートをしていた時のことです。メガバンクや地銀、海外ファンドなど、多くの当事者と交渉し、全員が契約内容に合意していても、契約書の製本や稟議プロセスに時間がかかり、契約締結が完了するまでに2ヵ月ほどかかってしまっていました。そのため、いち早く資金を必要としているクライアントになかなか着金されませんでした。こういった融資案件の他にも、商談や交渉の前に締結するNDA(秘密保持契約)待ちで重要な会議が設定できない、お客様からの申込書の回収に1週間かかってしまう、というようなことが日本中で起こっていました。弁護士として、こういった事態を解決したいという想いでクラウドサインを立ち上げました。
もちろん、ハンコ自体には文化として残ると思っていますが、企業取引においては電子化していかなければならないと考えています。今現在、10万社にクラウドサインを使っていただき、電子契約市場のシェアでは80%以上を占めています。

まずは社会全体を変えることに専念

橘:電子契約サービスというのは、自社だけでなく取引先にもメリットを理解いただき、使ってもらう必要があります。いくら自社で電子契約を使いたいと思っても、相手が印鑑や紙でなければ受け付けられないとサービスは普及しません。しかし、ある分岐点を超えると、「まだ電子契約ではないのですか?」「契約はクラウドサインでお願いします」となり、シェアが広がれば広がるほど、サービスが利用されていく事業モデルです。そのため、クラウドサインの導入企業数を増やすことが非常に重要ですが、今現在さまざまな業界を代表する企業に選んでいただいています。
また、銀行にクラウドサインを導入してもらうことに加えて、SMBCクラウドサインという合弁会社も作りました。銀行が自らクラウドサインを普及させる、そんな役割を担っていただいています。他にも、著名なサッカー選手の契約や不動産契約、ジムやエステの申込書でも、クラウドサインを使う事例が増えてきました。
最後に、いくら自社がいいなと思って導入しても、社会全体が変わらないとクラウドサインは使えません。そこで、社会全体を変えることに専念してきました。社会的には残念ですが、一方で、COVID-19が蔓延して在宅勤務になったことで、政府が強烈なリーダーシップを発揮して、書面主義・押印原則・対面主義を見直すためのさまざまな法改正や法解釈の変更が行われました。その結果、法務省は今年から、クラウドサインで締結した契約での登記申請を受け付けるようになりました。

楠本:飛ぶ鳥を落とす勢いと言いますか、風を吹かせている、そんな状態のように感じられます。もともと弁護士をしていた時の痛み・問題意識が出発地点になっているのですね。

橘:そうですね。「なぜ私たちは紙を使うのか。ハンコを押しているのか」という単純な疑問を持っていました。これが世界中でスタンダードなのであれば納得もいきます。しかし、私はシンガポールで1年暮らした経験があるのですが、そこでは一度もハンコを押したことがありませんでした。それで社会が回るのであれば、私たちもインターネットを通して、新たに簡単に契約できるようにできるのではないか、というシンプルな想いを持っていたのです。

楠本:なるほど。それでは、クラウドサインをどのようにスタートしてリリースに至ったのか、そのプロセスについて、具体的に教えていただけますでしょうか。

橘:当社は2014年にマザーズ市場に株式上場しました。弁護士ドットコムという事業で株式上場し、これから新たな事業を生み出したい思いがありました。創業者も弁護士資格を保持していたので、法律や契約の領域の専門家という私たちの強みを活かして社会の課題をどのように解決していくか、という事業選択が必要でした。最初からクラウドサインありきではなく、他にも保険事業やAIを使った契約書の作成など、いくつかのアイデアがありました。いろいろな社会の課題と解決方法を比較検討し、新規事業に取り組むか、役員間でよく話し合われました。

 

「課題の広さと深さ」が新規事業成功のカギ

楠本:「社会的な課題を解決する」という新しい事業を決める上での軸があったということですね。儲けることを起点にするのではなく、社会的な課題を軸足にすることの良さを感じられたことはありますか。

橘:はい。シリコンバレーでは、スタートアップが失敗する理由のひとつに「課題がなかった」ということが挙げられています。よくあるのが、「AIで何かできないか」「ブロックチェーンで何かできないか」というように、モノありき、システムありきで考えてみたものの、「課題がありませんでした」となることです。
課題が大きければ大きいほど、それを解決できればお金を払ってくださるユーザーがいるので、「課題が広いこと、そして深いこと。」というのが、新規事業を成功させる上でとても重要だと思っています。

楠本:課題の広さと深さ、みんなが困っていることの解決を目指すということが、ビジネスとして成功するための最大の要因なのではないか、という解釈ですね。そして、どのようなプロセスでローンチまで漕ぎ着けたのでしょうか。

橘:それぞれのアイデアについて、課題の広さと深さを話し合いました。そして、クラウサインにリソースを投下することによって社会がこれだけ良くなる、というコンセンサスを得られました。

楠本:5年で10万社にも使われるサービスに成長したのにも関わらず、最初は少人数でスタートしたというのは意外ですね。まずは小さく立ち上げられて、どのタイミングで人や投資を増やす、ということは事前に決めていたのでしょうか。

橘:リリース前に、ある程度のKPIは設定してコミットメントしていました。ただし、新規事業にはわからない部分も多くあるため、そこは取締役会できちんと説明し、ビジネスの状況を良い部分だけでなく悪い部分もオープンにして、ビジネスが伸びてきたら投資を獲得するようなコミュニケーションをし、柔軟性を保っていました。
よくあるケースが、「1年目にここまでいかないと撤退」という撤退基準を決めてしまうことです。ビジネスによっても異なりますが、クラウドサインは、自社が良くても社会にも変革を起こさないと伸びないサービスです。耐え続ければどこかの段階で一気に伸びるようなビジネスモデルの場合、撤退ラインを決めてしまうと、分岐点に届く前に撤退してしまうこともあります。「あと半年待っていれば成功したはず」とならないように、余白を作ることは非常に重要だと思います。

楠本:そういった柔軟さや自由度を保ちながら、社長や役員の皆さんに我慢してもらうために、どういった工夫をされましたか。

橘:売上高が伸びていないのであれば、何が伸びていればこの事業はうまくいくのか、という「KPI設定の合意」をするべきだと思います。売上高基準で撤退ラインを決めるのではなく、誰の・何の課題を解決し、どういったビジネスの課題を解いていっている、という証明ができれば、信頼して任せてくれるはずです。
売上高は最終的な通信簿であり、その中間指標をひとつひとつクリアしていった先に利益があります。この中間指標としてどれだけの課題を解決したか、ということをうまく設計することが、社内のコンセンサスを保ち続け、支持や支援を集め続けて推進していく上でのポイントとなります。
まずは、目の前の一社の課題をしっかりと解決できていることが大切です。よくあるのが、プロダクトの反省をせずに、営業力で月10社取ってしまうような事業です。しかし、それでは共通した課題を解けていないプロダクトなので、どこかで数字が止まってしまいます。電子契約を導入できない理由には何があって、それを解決できているのか、といった汎用的な課題解決を着実に行っていくことが重要でした。

楠本:勉強になります。導入した企業としっかりとコミュニケーションを取り、どこまで解決できたか確認されていたということですね。

橘:そうですね。具体的な話をすると、ある大企業にクラウドサインを導入していただきました。導入により、何時間業務が削減されて、いくらコストが削減されて、そしてそれに普遍性があるのか、という風にこの一社と向き合いました。
また、新規事業についてシリコンバレーでよく言われているのが「スケールしないことをしよう」ということです。スケールせずに、目の前の一社の課題解決をすること。それが汎用的であれば、あとは投資するだけ、という下地になるので、新規事業の1年目はスケールしないことをし続けました。

 

「なぜ今まで浸透しなかったのか」を分析する

楠本:当初、誰も知らないサービスを約5年で10万社まで広げられたわけですが、どういった戦略上のポイントがあったのでしょうか。

橘:まず、市場を攻める上で、「なぜそれが浸透していないのか」という課題の設定が非常に大事だと思います。なぜ、私たちは印鑑から脱していないのか、その課題は何なのか、ということの抽出から始めました。
実は、私たちが参入する前に、すでに電子契約サービスというのは10製品から20製品くらい出ていました。なぜそれが流行らなかったのかを調べていくと、「電子署名法」という法律がありました。140年前の明治時代に、ハンコを流行らせた印鑑登録制度ができ、20年前に、電子契約の規格について定めた電子署名法ができました。

楠本:すでにそういった法律があったのですね。

橘:はい。そして、その後に電子署名法の規格に沿ったサービスが10製品から20製品ほど出てきました。この電子署名法に定められていたのは、契約当事者がICカードとそれを読み取るリーダーが必要な方式でした。導入社だけでなく、受け取り側もそれを持つ必要があるので、導入した企業が取引先1万社に送るとすると、1万社がICカードとリーダーを買う必要がありました。
そんな中、厳格的な手続きではありますがUXが非常に悪い、ということで普及しなかったということがわかりました。それまでに電子契約サービス市場に参加していたプレイヤーは全員、この電子署名法に準拠することが当たり前だと思い、その規格で作っていたのです。しかし、これは私が弁護士だった強みでもあり、理解していたことですが、電子署名法というのは企業が利用するにあたって必ずしも準拠しなくていい法律でした。

楠本:必ずしも準拠しなくていい法律、ですか。

橘:法律には、「守らなければならないもの」と「守ったら恩恵を被るもの」という2種類があります。例えば税制優遇手段である青色申告は、青色申告を行わなくても罰則はありませんが、青色申告を行うと税務上有利な条件があります。電子署名法もそういった類のもので、この厳格なルールに則ると一定の効果があるというものでした。私たちは、この法律を理解した上で、電子署名法にはあえて準拠せず、電子契約を導入する企業だけがお金を払い、相手側は費用がかからないものでないと絶対に流行らないと考えました。

楠本:これはすごく良いメッセージですね。

橘:お客様に使われないと全く意味がないので、ユーザーデザインが大切です。取引先全員にクラウドサインへ登録してお金を払ってもらうことは難しいので、ユーザーが使えるデザインにプロダクト設計をした、というのがひとつ大きなポイントです。その上で、「本当に電子署名法に準拠しなくて大丈夫なのか」と各社の法務部に言われる毎日を想定していましたので、最初の1年は啓蒙活動をしました。ユーザー企業の法務部門の方にご説明に伺ったり、弁護士会で講演活動をしたり、権威ある法律雑誌に研究論文を発表したりして、世の中の考え方を変える活動でした。

楠本:人の固定観念を変えることがひとつのブレイクスルー、つまり本質的な解決策だったということですね。これは大変な活動だったと思います。すごいですね。

 

フリーミアムモデルで利用者増加

橘:そういった中で、営業活動をし、各社の法務部門にも理解を得て導入していただきました。このように理解を得ることを重ねていくと、どこの会社にも汎用的になります。1〜2年で2〜3万社に導入していただくことができると、今度はレガシーな業界も導入してくださるようになりました。去年、あるメガバンクが導入してくださり、理解を得られる相手がどんどん変わり、徐々に大きくなっていった、というようなストーリーでした。
そして、大企業が使うようになると、その企業がクラウドサインで契約書を1万社に送ってくださいます。そうすると、プロモーションなしで1万社にネットワークが広がり認知してもらえます。そして、クラウドサインを受信した会社に便利だと感じてもらえれば、そこからさらに広がっていきます。このように、ユーザーが増えれば増えるほど、広告宣伝費ゼロでバイラル的に広がっていくモデルだということが特徴です。

楠本:なるほど。波及力のある大企業を、まず最初に攻略するターゲットと位置づけられたということですね。

橘:そうですね。いきなり最大手を攻めるのではなく、まずはスタートアップ間で流通させるために著名なIT企業を獲得し、その次は人材業界の大手、のように順を追って、業界ごとのオピニオンリーダーを攻めていきました。
ユーザーがユーザーを連れてくる工夫として、料金設定もすごく意識してきました。受け取りが無料なだけではなく、送信も月5件までなら無料で、本格利用すると初めて有料になります。この「フリーミアムモデル」で始めたことも、クラウドサインを体験したいただくことに繋がっています。

楠本:導入のハードルを下げて、ユーザーがユーザーを呼ぶビジネスモデルを作り上げたということですね。
最後に、これから社内で新規事業を立ち上げていこう、と考えられている皆様に向けてメッセージをお願いします。

橘:まだ私たちも、社会課題を解決しなければならない途中です。新規事業をやる時は、「どうしたら成功できるか」とか「こんな予算を通す」とか「こんな技術を使おう」といったことに囚われがちですが、社会を良くするための課題や社会が抱える矛盾、子どもたちの将来がどのようになったら良いか、そんなことを考え続けていくと、新規事業の種というのは山ほどあります。私は、「なぜ現金を使わなければならないのか」とか「なぜ子どもが遊べる公園が少ないのか」など、毎日毎日、自分の疑問や、どうしたら社会がもっと良くなるかということを考え続けています。そんな時に新規事業は生まれてくるものだと考えています。その社会課題が広くて深ければ、予算はついてきますし、自分の裁量や決定権も広がり、仲間たちも増えてくるはずです。ぜひ、社会課題を解いて、社会を良くしていっていただきたいと思います。

楠本:今日は本当にありがとうございました。

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Profile
橘 大地 氏

弁護士ドットコム株式会社 クラウドサイン事業部本部長
東京大学法科大学院卒業。弁護士として企業法務を中心に、資金調達支援・ベンチャー企業に対する契約業務のコンサルティング・上場準備支援などに従事した後、2015年に弁護士ドットコム株式会社に入社。リーガルテック事業である電子契約サービス「クラウドサイン」の事業責任者に就任。その他AIなどのリーガルテック事業の研究開発を担当している。

〈聞き手〉
楠本 和矢
HR Design Lab.代表
博報堂コンサルティング 執行役員
神戸大学経営学部卒。丸紅株式会社で、新規事業開発業務を担当。外資系ブランドコンサルティング会社を経て現職。これまでコンサルティングプロジェクトの統括として、クライアント企業に深くコミットするアプローチのもと、多岐にわたるプロジェクトを担当。現在は、HR Design Lab.代表として、「マーケティングとHR領域の融合」をテーマに、現場での実践に基づいた様々なHRソリューションを開発提供。

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